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地元工務店の「真の姿」

親子二人三脚で家づくりを担う
左官と大工の競演で仕上げる手刻みの和室

vol.025

(株)異島住建 工務部長 大工
永吉 茂郎 氏  永吉 厚二郎 氏

永吉 茂郎 氏(写真右)
 菱刈中学校卒業後、鹿児島市の今村工務店に就職、左官の腕を磨く。沖縄県内、大口市の会社で働いた後、ホームセンター勤務を経て「プロの職人による会社を立ち上げたい」と言う異島社長に誘われて同社の工務部長になった。伊佐市菱刈町出身の63歳。
 
永吉 厚二郎 氏(写真左)
 伊佐農林高校を卒業後、大口電子に勤務。退社後、宮之城高等技術専門校で建築を学び直して大工になる。現在、親子で左官と大工の腕を生かし、究極の和室づくりに励む。

地図

 柱や梁の切り込み作業は、プレカットに頼る工務店が増える中で、昔ながらの墨付けを行い手ノミで木材一本一本を加工、手刻みの家づくりに力を入れる異島住建(姶良郡湧水町北方、異島博臣社長)。その仕事を支えるのが同社工務部長で左官の永吉茂郎さん (63歳)と、大工の厚二郎さん(28歳)親子。まさに二人三脚での家づくりに取り組む。そこには、神棚や祭の神輿などの細工職人として天下一品の腕を持つ大工の棟梁・川辺邦芳さん(55歳)の存在も欠かせない。「コーン、コーン」―。製材工場では、きょうも切り込みをするノミの小気味よい音が響く。

 茂郎さんは、地元の中学校を卒業と同時に左官を目指し、鹿児島市の工務店に就職した。小さい頃から物づくりが好きで姉の友人を頼っての縁故就職だった。「石の上にも3年。素直に親方のことを聞く」と、自分に言い聞かせて一人前の職人として自立することを目指した。お礼奉公を含め4年間勤務、海が好きだったことから海洋博を前に沖縄に渡り、修業を続けた。
 ちょうどこの頃、建設業界は活況を呈し、全国各地でビルの着工が活発になった。景気の影響もあり、ビル専門の左官が増え、その技術は重宝された。沖縄県内では、行かないところはないくらい多くの現場を経験。「とにかく忙しかった。寝る暇もないぐらい。若かったし、体力的にもタフだった」と、仕事に追われながらも充実した日々を過ごした。沖縄で約12年間働き、鹿児島に帰郷後、大口市(現伊佐市)の富士建設に就職、これまでの腕と経験を見込まれて約10人の左官をまとめる責任者として活躍した。この道一筋50年。左官一級技能士の腕は、現在でも一級品だ。これまで手がけた物件・棟数は、個人住宅だけで100棟を下らない。
 富士建設では、親方として持ち前のリーダーシップを発揮、後進の指導にも力が入った。小柄だが、いつもバイタリティーあふれる機敏な行動派として知られる。
 左官の現場は多種多様。一人前と言われるのに最低4、5年を要し、プロと呼ばれるには10年かかる。手作りの受け台に壁材のモルタルを載せ14、15本の木コテ、金コテを軽やかに操り、約1平方メートルの珪藻土の壁を平均5~10分で仕上げる。下から上へ。スーッと一気に塗り込む様子は、まさに心技一体の職人技だ。永吉さんの早業には定評があり、「珪藻土の壁もクロス張りと見まごうほどの仕上がり」と、舌を巻くほど早くて丁寧。

 腕のよさを見込まれて平成22年、異島住建の創業と同時に工務部長に迎えられた。左官業界では、職人不足が大きな課題。「これが自分の仕事と決めたら天職との思いを強く持ち、一人前になるまで辛抱強く先輩のアドバイスを聞いてコツコツ努力してほしい。素直に根気よくカッカせずに常に冷静さを保ち、穏やかな気持ちで仕事を受け入れること」と、若者にメッセージを送る。

 息子の厚二郎さんは、同じ会社で大工としての道を歩み始めている。伊佐農林高校森林工学科を卒業後、大口電子に就職、単純な製造ラインの仕事をこなす毎日だったが、会社のリストラで退社。専門学校で建築を勉強、大工の道へ。
 職種は異なるが同じ家づくりに携わる仕事。きっかけは、父親の「大工をやってみないか」の一言だった。「大工の方が仕事はある。コンクリートの打ちっ放しの現場が少なく、左官の仕事は、巾木、玄関周り、和室など限られているから」が、その理由だった。父がこだわり続ける職人の世界にあこがれ、「手仕事のすごさに共感、自分の思い、技術が形になるのは楽しい。充実感、達成感がある」と、父の言葉に導かれるように宮之城高等技術専門校へ。一年間学び、ぼんやりだが進むべき大工の輪郭が見えてきた。一級建築技能士、小型移動式クレーン、チェンソー、危険物取扱い乙類の資格なども取得している。
 ある日、同社の製材工場を訪問すると、シューッと言う音と同時に透けて見えるほどのカンナ屑が宙に舞っていた。そこには、厚二郎さんの師匠で棟梁の川辺さんがいた。川辺さんは、「神棚や祇園祭の山車を作らせれば天下一品」と言われる細工職人。図面なしで宮大工も顔負けの神棚、山車を作る。最後まで手を抜かない精巧なつくりにこだわる。その職人技を磨きながら大工になったモノづくりの達人。「こんな師匠のもとで仕事ができるなんてラッキー。自分は職場にも恵まれ、本当に幸せ者です」と、厚二郎さんは、期待に胸を弾ませる。

 個人住宅では、父とのコラボで4軒の和室を仕上げた実績もあり、親子そろって技に磨きをかけている。久留米市で開催されたカンナの削ろう会(全国大会の九州地区予選)の見学に行ったこともあり、1000分の5ミリ(5ミクロン)の世界に挑戦する仲間たちの姿に感動、今はカンナ、ノミなどプロの大工道具集めにはまっている。
 「30歳ぐらいまでには伊佐市で一番の大工になりたい。そして父みたいにお客様から喜ばれ、業界関係者から羨望の眼差しで見られる大工を目指したい」と、夢を膨らませる。

更新日:2016/05/17

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