住まいの創造人
少女時代の豊かな感性生きる
転機は、ハーモニータウンの設計コンペ優勝
(有)ゆうあいプラン 住まいる玄 代表取締役
井之上 由美子 氏
3人兄妹の末っ子。薩南工業高校建築科を卒業後、地元の建築設計事務所に就職、18年間勤務。平成12年に家づくりに関わりたいという小さい頃からの念願をかなえるため独立開業。自分の名前のイニシャルからつけた設計事務所「ゆうあいプラン」を設立、同時に地場職人グループ「住まいる玄」も設立。一級建築士。役職は建築士会女性部会長のほかに一般社団法人鹿児島県建築士事務所協会南薩支部理事。趣味は読書と映画鑑賞。好きな言葉は、日々一生懸命。家族は、夫と子ども2人の4人暮らし。本社は南さつま市加世田東本町18-9。同市出身の57歳。
小さい頃「お前が男の子だったらよかったのに」と、父親を残念がらせたという活発な女の子は、建築設計で見事に人生を開花させた。自然素材を活かした杉板の浮づくり、珪藻土の漆喰、豊かな風合いを見せる居心地優先の木の家は、そこに住まう人の心を感動させて離さない。いつもそっと寄り添い見守る存在だ。炊事、洗濯、掃除など女性・主婦目線で快適な暮らしをサポートし、休日には心を癒やしてくれる空間には、女性設計士の心遣いが生きる。
「おはよう、こんにちは、こんばんは」。井之上社長は、明るい隣近所のあいさつの声が飛び交う地域密着型の商店(現在の地域ストア)に生まれ育った。その周囲の石材店や魚屋、木工所、自転車屋さんなどのお店屋さんが井之上社長を育み、設計士へと導いた。まさに地域のコミュニティ文化に培われた女性設計士としての感覚は、ここで研ぎ澄まされた。
それは、自然の石が職人の技で磨かれピッカピカになる瞬間、木工所のカンナ屑の香りや静かな佇まいを見せるお寺の庫裏、時には威勢のいい魚屋さんの呼び込みの声だったりと、実にエネルギッシユで多彩。「私が家づくりに関わる原点となったのは、この時に培われた感性」と、井之上社長。
こうして家づくり、モノづくりに関心を抱いた少女は、高校の建築科に進み、設計事務所勤務を経て、38歳の時に独立開業した。それが住まいづくりの玄人集団「住まいる玄」の創業の原点になっている。
創業時は、年間5棟程度の新築実績だったが、女性設計士が醸し出す暮らしに密着したしなやかでハイセンスなデザインと自然素材、プロの職人技が生み出す感性の豊かさが口コミで広がり、現在では平均して年間15-20棟を手掛けている。
経営は最初から順風満帆というわけではなかったが、創業して3年目の平成14年に住宅供給公社が南さつま市に造成したハーモニータウン(全戸で約100棟)の設計コンペが大きな転機に。女性設計士と職人技のコラボによる快適で心地いい住まいをデビューさせてから安定軌道に乗った。
大手ハウスメーカーなどが全国で建売住宅などを展開し、ローコスト住宅がはやり始めた時期で、バブルが弾けて住宅業界に新しい風が吹き、地場工務店が経営を考え直す必要を迫られた時代。そんな時、コンペで最優秀・優秀賞をW受賞したことが大きな励みにもなり、転機となった。
規格住宅にはない、自然素材をふんだんに使った職人技が随所に活かされ、家事動線など女性目線から見たデザインが人気を呼び、同社が飛躍するきっかけになった。今でも、この時の新聞を手にして家を造ってほしいと、同社を訪れる人もいるほどだ。
家は、眠り、食べ、住まい、暮らしの中で一番心癒やされる場所。だから、ゆったりとした快適空間に身を委ねれば時間がゆっくり流れる。「住まいる玄さんの家にはきっと、木や土、石に神が宿っているのかな」という施主の声に癒やされる毎日。井之上社長が設計した女性・主婦目線のデザインをベースにプロの職人集団(棟梁、大工を中心に1、2人で構成)7組で家づくりに取り組む。現場では約30年の経験を誇るベテラン棟梁に若手職人が付き、技が継承される。
お客様の理想、そして意向に沿った「居心地優先の家」が同社のコンセプト。家が完成してから本当のおつきあいが始まると言われるアフターも2、5、10年サイクルで行われ、完璧だ。
今年の4月からは、公益社団法人・鹿児島県建築士会女性部会長を任され、「今だから」と、その任を自覚しつつ「いざと言う局面で女性が活躍できる場を」と前を向く。「これを機にもっと女性が増えていかないと」と、難しいポストの舵取りを任され、気合いが入る。「リケジョ、ドボジョという言葉に象徴されるように理系の女性が人気を集め、もてはやされる時代。概念だけでなく本質を磨かなければ」と、注文をつけることも忘れない。