住まいの創造人
たぎる想いと感謝の心大切に
木に第2の人生を吹き込む仕事
(株)青空木材 代表取締役
佐々木 進 氏
1979年、長島町で漁師の長男として生まれる。出水工業高校建築科卒業後、父親のツテで大阪の造船関係の仕事に就くが2年で退社。郷里の長島町にUターン、農・漁業の仕事などを経て、鹿児島市内の木材関連会社に7年間勤務、経営のノウハウを学ぶ中で「この仕事は面白い。自分の仕事はこれだ」と目覚め、31歳で個人創業したのが現在の会社。8人の仲間と一緒に仕事に向き合う。家族は郁夫人と子ども2人の4人暮らし。いろいろな人と語らい、刺激しあえる人生が楽しいと笑う38歳。本社は鹿児島市中山町2308-1。
会社の業務は、木材、建材、サッシ、新建材販売、屋根・壁工事などを手掛ける建設資材販売業。長男の名前を社名に2010年9月、青空木材は産声を上げた。爽やかな青空に向けて真っすぐに伸びる企業をイメージしての社名。鹿児島市山田町に構えた78坪の切り込み場がスタート。周囲は田んぼに囲まれた湿地で、雨の日はぬかるみができる場所。出入りする大工さんが仕事がしやすいようにと、ぬかるみに土を入れたりと整地作業が日課だった。創業したものの当初は木材一本融通してもらえず、仕事の厳しさを痛感した。お客様から垂木8本の注文が入り、ホームセンターで購入したが、トラックも所有していなかったため自家用車の屋根に積んで運んだのが初仕事だった。思うような仕事もなく、「なんでもする」と引き受け、どぶさらいをしたこともある。
独立する前に勤務していたプレカット、木材販売などを手掛ける2つの会社で経営のノウハウを身に付け、人脈も築いた。厳しいスタートだったが銀行から借りた1000万円を元手に保証金を積むなどして木材の供給体制を確立、事業を徐々に拡大し、「日々努力。最初はみんな一歩から」と、自分に言い聞かせて信用を築き上げてきた。そうこうするうちに注文が入るようになり、1年目で1億円を超える売り上げを確保。5期目は3.9億円と、仕事は軌道に乗り始めている。まだ、これといった経営理念はないが、義母がプレゼントしてくれた桜島を描いた1枚の油絵を見る度に元気をもらい、この熱い想いを持ち続けようと、「たぎる想い」を経営理念にして自分を奮い立たせる毎日。絵は社長室に飾り、眺めながら元気をもらっている。この、たぎる想いを大切にして、スタッフ全員が親孝行し、家族を大切に仕事を楽しむ環境を構築したいと、自然体の経営を基本にする。「私が道を切り開き、スタッフが後を踏み固めてくれる先に青空木材の未来がある」。若いが考え方が粋である。
会社を立ち上げた当初は、頼る人がいない個人創業のため、朝6時に起きて配達作業などを終えてからパソコンで見積書などを作成、就寝は午前2時~3時。寝すぎないようにと、わざと背中の痛くなる固い床を選び午前6時前には起床。こんな日々を続けていたある日、コンビニのトイレで意識を失って倒れ、救急車で搬送された。「これではいけない」との反省から社員を雇い始め、5年前に社屋も構えた。会社入口にあるブルーの「青空木材」の文字が鮮やかで気分が爽やかになる。
いろいろな人と交流する中で、4年前、鹿児島相互信用金庫が組織する経営者クラブ「ブレーン21」に参加、そこで地場工務店・(株)ベガハウスの八幡秀樹社長と知り合い、仕事に込める思いがより一層強くなった。「木一本にこんなに心血を注ぎ愛情を込めている経営者がいるんだ」と、驚かされる半面、未熟な自分の歴史を振り返った。「便利屋に走るのではなく付加価値とは何かを追求する本物へのこだわりを持ち続けてほしい」という八幡社長の言葉を胸に刻み、2年前には、木材加工の職人を育成するために同市東開町に東開事業所(木材加工部)を開設。他社からの社員研修も意欲的に行っている。八幡社長の影響もあり、グローバル経営の戦略にも少しずつ磨きをかけている。スタッフの個の能力を大事にして少数精鋭でスピード感を持って付加価値をつける仕事と向き合う。
いろいろな経営手法も学ぶ中で「日々成長している自分と向き合えるのも八幡社長のお陰。本当にいい出会いに感謝している」と、今では家族ぐるみの交流に発展している。
「一本一本の木にはその木が育った歴史、環境、性格がある。それは木の持つ特性であり生い立ち。だから曲がった木だったり、節があったりと、個性豊か。その性格まできちんと見極めて特性を100%生かして、使ってあげる。加工する職人には、そうした木と向き合う技術が求められる」。佐々木社長が木を扱う職人の顔に戻った瞬間である。これまで培ってきた技術を生かし、加工部で「木枠(MOKUWAKU)」というブランドを立ち上げる計画もある。経年変化を経て木は魅力的になる。木に愛情を注ぐ経営を実践している。木材販売を通じ業界発展を願う佐々木社長の前を見据える目は輝いている。