住まいの創造人
常にお客様ニーズを大切に
趣味、ライフスタイル考え楽しめる家を
(有)平川工務店 専務
平川 大介 氏
鹿児島工業高校建築科、日本建築専門学校を経て大工の道へ。26歳の時に帰郷。専務として、父の工務店経営を支える。兄の善久さんも奈良で宮大工として活躍中で、まさに大工一家。一級建築施工管理技士、一級大工技能士、第二種電気工事士などの資格は約30を超える。経営の基本は、安心・安全・信用・こだわり。毎日の仕事を段取りよく、そして効率よく進め雇い手も、働き手も安心・満足できる職場環境づくりに励む。絵里奈夫人と一男二女の5人家族。南九州市頴娃町出身の42歳。
昔から頴娃町は船員が多い土地柄。国内航路の船員として働いていた父の善弘さんは船を降りて大工として修業後、1974(昭和49)年に地場工務店を創業した。最初は小さなリフォームから始まり、お客さんからあれもこれもと頼まれているうちに住宅の新築、公共建築、畜舎、太陽光など業種を拡大、現在のスタイルになったという。
「父は働き者で頼まれれば断れない性格。田舎はこういうパターンの会社が多い」と、大介専務。そういう父の背中を見て育った大介さんは、迷うことなく高校、専門学校と建築関係の道へ。入学した専門学校は、大工の養成学校と言われる全寮制の4年制。九州から北海道まで全国から集まった仲間の姿にも驚かされたが、ノミを研ぎ、墨付けをする高級住宅の建築実習では緊張の連続だったそうだ。このころから「住まいと環境との共生」に関心を持ち、卒業研究では林業地や製材所を回った。卒業後は「東京の木で家をつくる会」の事務局に居候しながら毎日山仕事をしていたという変わった経歴を持つ。大工見習い時代は、一人で重機、左官、日本建築大工までこなすすごい親方につき、作り手としての心構えを教わった。「ちょっと遠回りしたかな。でもいい体験、学習の場でした」と、自分を振り返る。
実家は地域密着の地場工務店。新築着工戸数は「長くコンスタントに」の思いで40年間で144棟。高齢化社会を反映し、ちょっとした手摺り、バリアフリーの床の張替え、トイレ・風呂場の改修など簡単なリフォームから1000万円クラスのリノベまで幅広い。
創業以来、善弘社長とともに守り通している経営手法がある。それは、会社のため、職人のために毎日の仕事を切らさないこと。だから社長夫妻、専務夫妻、ベテランと若手の監督をリーダーに三班のグループを編成、段取りよく効率的に人員配置を行い、現場を掛け持ちで働けるシステムを確立している。
住まいに関しては、「自分の会社の色を出しすぎるより、お客様の感性や生活スタイルを引き出すようにしている。一過性のデザインにとらわれすぎることのないようランニングコストなども考慮して、機能性から出る自然美のある住まいづくりを目指している。また、南九州という地にあって、この地域に暮らしたい、ここで活動したいと思っている人たちに手の届く形で住環境を整えていくことが、自分たちにできる自然な地域活動かなとも考えている。社長以下職員15人の職人集団だが、ほとんど残業もなく、繁忙期などによって職員の生活や収入が安定しない状況を作らないことを目指し実践している。少しずつですが職員が働きやすい環境を整えていくことも、いい仕事、いい住まいづくりにつながっていくと考えます」と、しっかり前を見据える。
社長の継承時期については「まだ修業中」と、はにかむが顧客ニーズに合わせてリラックスできるベンチ型の椅子や家の壁に背もたれのウェブを入れるなど、多彩なアイデアを取り入れて側面から経営を支援する。木造設計士の資格を持つ母親の澄子さん、2級建築士の絵里奈夫人も大きな戦力で、同社の舵取りは女性パワーに支えられている一面も非常に大きい。
趣味はスポーツ全般。アウトドアなど幅広く「何をやっても同じくらい下手だが練習して上達することが何より楽しい」と笑う。このほか、地元の消防団、古民家改修など地域活性化の運動にも参加、活動の幅を広げている。目指す企業像は「まだ明確なものはない」というが、夫婦でお客様の思いを形にしていく両親の背中を追っているようだ。自分たち世代がやらなくてはならないこと、自分たちがやりたいことを見つけていきたいと、地域密着の工務店経営を目指す二代目は、様々なことを経験しながら着実に育っている。