My Life Style
小さな町に根をおろす 小さな家のものがたり
一葉のいえ
<Sumika vol.27>
家族3人と、猫1匹が暮らす小さな棲家。コンパクトな暮らしを管む場でありながら、ときどき地域の小さな写貞屋さんとして町に仔み、町にひらく我が家をご紹介。
木の葉や小舟のような小さな家と暮らし
一葉(いちよう)。デスクに鎮座する分厚い辞書をめくると、①一枚の木の葉。②(一隻の)小舟。と記載されている。葉っぱを物として客観的・散文的に捉えると一枚、二枚という数え方になるが、風に揺れる葉を風景として、主観的・詩的に捉えて一葉、二葉と表現すると、とたんに文学的な趣がでてくる。そこには大切な物、かけがえのない物という思いが込められているようで、ときに大海原に浮かぶ舟を「一葉の小舟」と表現したり、小さな紙に幾多の思い出が込められた手紙を「一葉の葉書」などと形容することもある。
同様に「一葉の写真」という言い回しもあり、太宰治の『人間失格』は「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」というはしがきか綴られている。
今回紹介する家は、町中に建つ小さな家。住まいの数え方は一般的には一棟(あるいは一軒)と呼ぶのだろうが、その住まいは風に揺れる一枚の葉のように小さく軽やか。青い空に伸びる三角屋根は、どこか大海原を進む小舟の舳先(へさき)のようにも見える。
前置きが長くなったが、僕は住宅地の中にささやかに建つ棲家を、かつての文人や文豪にならって「一葉のいえ」と名付けることにした。入居は2022年だが、おさがりの家であるため実際の竣工は2011年。2LDK+ロフトというコンパクトな間取りは、家族3人と猫一匹には十分な空間だ。
ロフトから見たリビング
ひとつの旅が終わり、新たな旅がはじまる家
小上がりのあるLDK
長崎に生まれ育ち、福岡の写真学校を出て、屋久島へ移り住んだのは20歳の頃。そもそも「ここではないどこか」へ行くためにカメラマンになった僕には、決まった拠点や根城(ましてや持ち家)などへの執着はなかった。屋久島でも住まいを転々とし、5年後にはザックを背負って鹿児島市へ移住。中央駅前の宿に3泊すると、その3日のうちに求人情報誌と住宅情報誌を開いて仕事と住まいを決めた。6畳1間のアパートにザックを下ろせば、引っ越しも完了。鹿児島では新照院、田上台、姶良、鴨池、坂之上と転居を繰り返し、根無し草のような暮らしを続けていた。
僕の名前は、漢字で「有城(ゆうき)」と書く。あまり見かけない名前のため、自己紹介や名刺交換などの際に、よ<「一国一城の主なんですね」と声をかけられる。そんな時は決まって「城といっても、賃代ですけどね」と返すことがお約束になっていた。
おうち写真館
ロフトでくつろぐミーちゃん
お風呂上りにデッキで夕涼み
生活を営むうえで荷物や家財道具はしだいに増えて行ったが、いざとなればすべてを引き払って再びザックを背負いなおす覚悟(や願望)が、いつだって胸の奥にあった。
これまでは冗談とも本気ともつかない心持ちで「鹿児島旅行もかれこれ24年目になりました」と笑っていたが、そんな僕も今年で44歳。旅の途中で嫁をもらい、子供も授かった。そしてはじめての棲家を持つことで、ひとつの長い旅が終わったような気がしている。
午後のお絵描きタイム
海で拾ったウニの貝殻
山で見つけたフクロウの羽
夜風の中で過ごすおうちキャンプ
暮らしの細部に宿るおひさまとおかげさま
前の住まい手さんが大切に、丁寧に暮らした家。入居にあたっては外壁塗装と水回りのクリーニング、防蟻処理のみを施した。
小さな棲家に明かりを灯して
棲家を持って大きく変わったことは、暮らしのあちらこちらに落ちる光と影を撮るようになったこと。シマトネリコのこもれびと木陰、ブラインドから注ぐスリット光、午前中に食器棚の器を照らす光、夕方の遅い時間に階段に射す光などなど。写真は、光がないと撮ることができない。そして光があれば同時に影も存在する。かつて谷崎潤一郎は陰翳礼讃という随筆を通して、光と影とともにある日本人の暮らしを見つめた。僕は光と影を「おひさまとおかげさま」と言い換えて、ファインダーを通しておりおりの暮らしを見つめていこうと思う。
ささやかでかけがえがなく、おひさまとおかげさまがたくさん込められた「一葉の家」で過ごす日々。旅するような暮らしは終わり、ここからまた新しい暮らしが始まっていく。依然としてフラフラと心もとない写真生活(とローンの旅)は続いていくが、街中に仔む「一葉のいえ」とともに、ときに軽やかに風に揺れ、そしてしっかりと地面に根を下ろした暮らしを築いていかなければ。
キッチンカウンターの間接照明
新しい朝と、新しい旅がはじまる玄関