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地元工務店の「真の姿」

神社のおみくじで授かった大工の仕事
祖父は腕のいい棟梁
主婦目線の家づくりが奏功

vol.029

(株)七呂建設 代表取締役
七呂 恵介 氏

 鶴丸高校―横浜国立大学工学部建築科卒業後、穴吹工務店に勤務。家業継承のため帰郷、七呂建設に入社。営業、専務取締役を経て昨年5月社長に就任。一級建築士。趣味は読書。好きな言葉は「一日一死」(きょうが最期との思いで頑張る)。高校時代は吹奏楽部。題名のない音楽会のファン。大学時代はトライアスロン部に所属、今も時々走る。つくばマラソンで走ったこともある。独身。会社所在地は鹿児島市石谷町1273-1。同市出身の39歳。

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 「家はお客様の生命・財産を守り家族を育てる発展の基礎。だから新技術に果敢に挑戦し、人格と技術を磨き、感謝の気持ちを忘れずに」というのが、同社の経営理念。3代目の恵介社長は「これまでの伝統と実績を踏まえ、顧客満足度(CS)の追求に徹して、お客様と共に今を一生懸命に生き抜くことが経営安定につながる」と、CS向上を会社経営の柱に据える。

 会社創業の歴史をひも解くと、農家の二男坊だった祖父の助義さん(3年前に90歳で他界)が、若い頃神社でおみくじを引いた時「あなたに向いている仕事は家づくり」と、記してあったことが大工の道を選んだ理由とか。13歳で弟子入り、修業を経て、1960年に七呂組を立ち上げた。創業して間もない頃、親会社が倒産、借金の集金に駆け回ったこともあり、「相当苦労したと聞いています」と、芳文会長(68歳)は感慨深げに語る。
 神様のお告げ通りに助義さんは「腕の良い大工」として知られ、注文も順調でいくつもの現場を掛け持ち、現場が夢に出てきたこともある。ある日のこと担当の新築現場が夢に出てきて、柱の長さが違うため、目が覚めて早朝現場に出掛けて確認したところ、やはり違っており、こっそりやり直した―というエピソードを芳文さんが伝え聞いたことがあるそうだ。
 助義さんが社長交代時に芳文さんに伝承した仕事訓がある。それは、「人に迷惑をかけるようなことだけはするな」。「自分は迷惑をかけられ、いやな想いをしたから、迷惑だけは掛けたらだめだ」と、常に聞かされ、「これは会社を経営していく上でも大切」と、今でも伝授し続けている。同社が「丁寧で誠実な仕事を通じて信頼を得ること」を、仕事訓にしているのもうなずける。

 1963年に㈲七呂組に会社組織を変更、高度経済成長期に入り建設業は活況の時代を迎えた。型枠大工が儲かるという話から同社も経営の軸足を大工から徐々に型枠大工へと移行。西本願寺、鹿児島市民文化ホール、鹿児島アリーナ、大学病院など大型物件を受注、一つの時代を築いた。
 しかし、型枠大工は利益が出ない状況を迎え、親会社が倒産したのを機に創業の原点に立ち返り、地場工務店として出直すことに。1992年㈱七呂建設に社名変更する。
 そして、2006年イシンホーム住宅研究会(FC)に加盟、さまざまな工法や商品を学ぶ中で成長しながら再び木造建築会社へと舵を切った。「三蔵奉仕(地下、中二階、ロフト)への藏」モデル、「頭と心のよくなる生活習慣の家」(子育て支援住宅)モデル、「Eco‐i遊民」(ハウス・オブ・ザ・イヤー受賞の省エネ住宅)モデル、働くお母さんに贈る家「HIEGTWINS」モデル、太陽光発電MAX住宅モデルなど、相次ぐアイデア満載の住宅は人気を集めている。
 さらに、太陽光発電システムを一般住宅の屋根に搭載、そこで発電した電気を売ることで売電収入を得て、実質ゼロ円で住宅を建てる事業では「住宅ローンを減らす手法」として人気を集め、数多く受注。家づくりを夢見る多くの人の共感を呼んでいる。
 特に家事動線2分の1、ママが綺麗になる家、ウォークスルークローゼット、酸素美泡湯、回遊性、デザイン性を採り入れた主婦目線の家は、主婦から熱い視線を浴び、省エネ+健康+美容の家として注目されている。

 新築住宅着工は年間130棟、リフォーム20棟と、県内でもトップクラスの実績を誇る。現在鹿児島県内には、七ヵ所のモデルハウスを展開、同社の工法、ノウハウなどを標準装備した雰囲気の異なるモデルが見学できる。

更新日:2016/07/12

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