住まいの創造人
お客様とともに暮らす家造り
多彩な規格住宅を展開
三洋ハウス(株) 代表取締役
逆瀬川 勇 氏
短大卒業後、日立造船、郵政省勤務を経て東京の大手建材メーカーに勤め、28歳で帰郷。住宅営業の経験はなかったが昭和53年10月に三洋ハウス㈱を設立し、年間120棟の新築着工戸数を誇る会社に育て上げた。満喜子夫人と三男二女の7人家族で、現在は鹿児島市内に夫婦2人暮らし。長男の陽一さんはイタリアで建築デザイン会社をアンドレア・ボルベ教授と共同経営。次男の貴志さんは常務取締役、三男の勇造さんは営業課長、次女の桃木野桜さんは総務課の課長代理。関連会社三洋ビルディング㈱、三洋開発㈱の代表取締役、一昨年4月に設立された一般社団法人鹿児島県住宅産業協会理事長も務めている。本社は同市南郡元町14-9。鹿屋市輝北町出身の67歳。
ブルーは未来と希望、赤は情熱、グリーンは成長。この三つの色の波を表す会社のシンボルマークには、家づくりを通じて社員とお客様の幸せを追求したい―との思いが込められている。創業以来、お客様満足度No.1を心掛け、これまでに手掛けた住宅は2000棟にも上る。「弊社は設計・施工だけでなく、不動産に強い会社。だからお客様の負担を極力抑え、賢く暮らす家を提供したい。早く年間200棟の大台に乗せたい」と、意欲を見せる。
創業のきっかけは「鹿児島のためになる住宅会社をつくりたい」という郷土愛だった。埼玉、千葉県など市場の大きい地域も考えたが「やるなら鹿児島で」と、決断は早かった。昭和53年4月に帰郷、宅地建物取引の資格を持っていたため10月には会社を設立、不動産会社として登記、7坪の事務所を借りて友人、先輩らと3人でスタートした。
勿論、手探りのスタートだったが、最初からスタッフ、知り合いにも恵まれ、客が訪ねて来て契約するなど幸運にも恵まれた。この立ち上げ期に学んだのは、経営を支援、応援してくれるスタッフ、仲間などを大切にする人脈づくり。最初抱いていた不安は「心と心のお付き合いをすれば、お客様は必ず応えてくださる」という確信に変わり、お客様とともに成長する会社への思いを強くした。
住まいづくりは、土地、建物、デザイン、コストを考えてゆとりある暮らしができるように家賃並みの金額で手に入り、かつしっかりしていて地震、台風にも強い安心して暮らせる住みやすい家が原点になっている。
不動産業からのスタートだけに家を建てる土地の資産価値を重視、住みやすい場所、道路をつくって街づくりを行う取り組みを強化してきた。
今の状況は「何が幸せなのか、なかなか見えにくい時代。だからこそ家族を幸せにする家とは?という課題に真摯に取り組まなければならない」と、力説する。
こうした視点から生まれたのが自由設計で上質な暮らしができる「木間々な家」、まずは家が欲しいという人のため開発された子育て応援住宅「フェアリー」、強くて長持ちする伝統的な平屋、使いやすい間取り、スタイリッシュな外観がテーマの「木咲な家」などの規格住宅を開発・販売。顧客ニーズに対応したシリーズは、「価格も手ごろで選びやすい」と、好評だ。
平成11年にはSSV工法・木造合理化工法が建設省から認定を受け、同15年には日本住宅保障検査機構の品質優良認定ビルダーに認定され、翌年には鹿児島市で戸建住宅着工件数No.1の実績認定。同24年には住宅建築事業部門で国交大臣表彰を受けた。
勿論、アフターメンテナンスも万全。専任のアフタースタッフ5人を配置、シンボルマーク入りの巡回サービスカーが顧客の家を回り、年間660棟のチェックを行っている。このほか、ホームアドバイザー、ホームプランナー、人間力を重視するベテランの職人をそろえている。
「社員が健康であれば会社も経済的に潤い元気になれる」と、社員の健康管理にも熱心に取り組んでおり、健康こそ財産と、自らもフルマラソンに出場している。
昨年10月7日、自社施工で完成した本社ビルは、RC造7階建て2780㎡(840坪)。1階にはオリバー社製のソファをそろえキッズルームもある。総ガラス張りのおしゃれな接客ルーム、授乳室、素敵な女性化粧室、シアタールームなどを開設、間接照明もイタリアから輸入、リッチな気分で会話ができる。2階には社員用のスポーツジム、社員食堂、ショールーム、災害対策用の自家発電機などがあり、7階には大型スクリーン、講師控え室もある210人収容の大ホール、屋上には太陽光発電システム(25kW)なども備わった先を見据えた次世代対応型オフィスだ。