住まいの創造人
100年の伝統に独自のデザイン織り込む
「深い軒を涼しく風が抜ける家」がコンセプト
(有)福山組 代表取締役
福山 征志 氏
川内高校、近畿大学九州工学部建築学科卒。福岡の建設会社に5年間勤務後、家業を継ぐため帰郷。一般社員、専務取締役を経て5年前から現職。大工の棟梁だった祖父の房彦さんと父親の時人さんが二代にわたって基盤を築いてきた福山組の三代目。一級建築士、県建築士会川薩支部理事。100年の伝統を困難に直面したときの励みに変えて、さらなる飛躍の糧にしたい-と力強い。家族は、妻・小百合さんと一男一女。趣味は歴史的建造物巡りを兼ねた旅行。好きな言葉は誠実・邁進(まいしん)。薩摩川内市出身の53歳。会社所在地は同市隈之城町301。
同社には、大正~昭和初期の上棟式を撮った1枚の白黒写真が大切に保管されている。そこには、建築物をバックに会社を興した祖父・房彦さん(83歳で他界)がりんとした表情で写っていた。男衆が梁の上に誇らしげに腰掛ける姿が当時をほうふつとさせる。
祖父・房彦さんは、明治45年に大工・西田正一郎氏の元に弟子入りし、修業を経て1917年(大正6年)に個人創業。旧川内市街地の一角にあった地元百貨店(シマヤ)の建築なども手掛けた棟梁で、多くの大工を育てた。
その血筋を受け継いだ時人さん(81歳)が頑固なまでに技術を伝承。建築会社としての基盤を築いてきた。手を抜かないのが職人気質の真骨頂。効率が悪くても、ひずみや不具合が見つかれば、全てやり直しを命じるなど、弟子に対しても厳しく、自分には「より厳しく」を身上としていた。「間違ったことはするな」が口癖だったそうで、同社の理念、家訓、仕事訓として受け継がれている。
1971年に福山建築、1988年に現在の㈲福山組に組織変更。4年前の事務所改装の際に祖父の履歴書を発見し、ちょうど今年が創業100年に当たることを知った。「考えもしなかったことで、ズシリと双肩に重みを感じている。歴史を大切にしたい」と、創業者の房彦さんをしのび、自分の立ち位置を改めて確認する毎日だ。
家づくりについては「家は一生残るもの。お客様目線で住まい方をデザインし、住みやすさや機能性を提供する」というのが基本。コンセプトは「昔ながらの深い軒をつくり、日差しを遮り、陰を生かして柔らかい風を生み出す。自然素材が生きる心地いいパッシブデザイン」。昔ながらの縁側も設計に盛り込み、まさに縁のつながりを大切にする家づくりにポイントを置く。
新築住宅に関しては、口コミなどの紹介が約9割。「お父さんの時代から、わが家は福山組だから」と、訪れる親子二代の客も多い。今の営業スタイルとは異なるが、多くのファンによって経営が支えられている。「これが伝統の重みかな。大事にしたい」と征志社長。今は、ほとんどプレカット加工だが、5、6年前までは木材を自分で目利きし、仕入れて墨付けまでしていた。
年間の新築住宅棟数は平均5棟。リノベーション、リフォームが4、5棟。学校の体育館、耐震改修、お寺の建設、保育園、幼稚園など、公共事業も手掛ける。
また、社長自らが設計を手掛け、計画から施工管理までを一貫して携わる。そのことで、顧客の満足度も高い。
お客様に家を引き渡してからは、1年目の点検を欠かさず、随時連絡を取り合う体制を構築。台風前の戸締り確認、高齢世帯への連絡など、つながりを大事にし、「地域社会に貢献できる会社」を目指す。
業界の課題は後継者育成、若手の担い手不足の解消。「小さい子どものころからの教育も含めて、業界の魅力をどう創出し、育成していくか。社会の仕組みを大きく変えていく努力も求められる」と、大所高所の見地からその必要性を指摘する。
国が推進する省エネのZEH住宅が主流になりつつある中で、新しい福山組のスタイルを確立し、継承していくことを理想とする。「そのためにも後継者づくりをしっかりやりたい」と話す。最近、娘さんから「私には夢がある。いつかお父さんと一緒に仕事をすること」と耳打ちされたそうで、何にも増してうれしそうだ。次を託す4代目に希望の火が灯った。