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地元工務店の「真の姿」

ライフスタイルから考える住まいづくり
三つの健康をモットーに、地域密着の経営

vol.060

(有)マルタ建設 専務取締役
圓田 健作 氏

 鹿屋工業高校建築科卒。学生時代は、ソフトボール、野球に打ち込み、内・外野をこなす器用な選手として活躍した。2級建築士、1級建築施工管理技士、2級土木施工管理技士、解体工事施工技士の資格を保有。鹿屋建友会会計、APM会副会長、南九州SW会(スーパーウォール工法)の企画リーダーを務める。昨年、鹿屋商工会議所青年部会長を経験。異業種交流の中でさまざまな人と出会い、人脈を築き視野を広げる。8年前から専務取締役に就任。妻と一男二女の5人家族。趣味は野球。好きな言葉は「感謝、絆」。同市大浦町出身の36歳。

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 同社は大工だった父親の義弘さんが千葉県で修業後、1971年に鹿児島で圓田建築として独立開業した。夫婦2人でのスタートだった。その後、多くの人に慕われて仲間が集まり、下請けから元請けへとステップアップ。1989年に法人化し、有限会社マルタ建設に組織変更した。

 健作専務は、小学校高学年の頃から自然と建築の仕事に興味を持つようになり、「将来は大工に」と、鹿屋工業高校に進学。卒業後、千葉県市原市の進和建設に就職した。
 千葉県では、中堅どころの建設会社で公共工事がメイン。右も左も分からない見知らぬ土地での就職は、何度も挫折を味わった。「一年で辞めて実家に帰ろう」と心が揺らぎ始めたころ、ベテランの左官職人から「辞めるのは簡単。石の上にも3年。もう一回仕切り直して頑張れ」と、背中を強く押された。苦しくても耐えた野球部時代を思い出し、夜必死になって勉強した。分からないことは、現場監督や先輩に一から教えを請い、なんとか半人前に仕事がこなせるようになった。初めて現場を任されたときは、入社から3年が経過していた。「あの時の喜びは今でも忘れない」と話す。
 仕事以外の社会常識にも厳しい会社で、歩き方から四文字熟語まで基本をしっかり教えられた。「辞めなくてよかった。あのときが岐路だった。逃げるのではなく挑戦することの大切さを学んだ」と、振り返る。
 千葉にも住み慣れ、居心地がよくなってきたころ、家業の跡継ぎの話が持ち上がり後ろ髪ひかれる思いで帰省。マルタ建設に社員として入社し、木造建築を初めて手掛けた。「これまでの人生の中で一番楽しかった。木の温もりを肌で感じながら気持ちが高ぶるのを覚えた」と、改めて木の感触に惚れ込んだ。小学生の頃から知っている大工さんも数人残っており「健ちゃん、健ちゃん」とかわいがられる一方、「もっとキバレ」と叱咤激励も受けた。

 経営理念は、地域・顧客密着路線の維持継続。お客様のニーズに最大限応え、ゆとりとくつろぎのある空間を提供することが、地場ビルダーとしての使命だと語る。このため、住宅メーカーからの工法提案にもじっくり耳を傾け、納得のいくまで社内全員で討論する。「あなたのライフスタイルから考える住まいづくり」をモットーに、三つの健康(住む人の健康、建物の健康、地球の健康)をコンセプトに据える。引き渡し後のアフターでは、3カ月から35年後まで10回の定期点検を実施。生涯のお付き合いを誓う。
 年間新築棟数は平均10棟。2016年からZEH(ゼロエネ住宅)の普及にも取り組み、目標を上回るペースで推移している。
 目指す企業像は、お客様から選ばれ、頼りにされ、愛される会社。今年で創業48年目。「半世紀近くにわたって、お客様から支えられてきた。これからは、お客様へ恩返しする時。さらに面倒見のよいアフターを心掛け、『マルタさんに頼んでよかった』と、多くの人に言ってもらえるよう今以上に心と技を磨き、顧客満足度を高めたい」。来年8月に社長就任予定の二代目は、しっかり次代を見据える。

更新日:2018/11/01

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